円谷英二と特撮ファンタジー

円谷英二と特撮ファンタジー

特撮とファンタジー。トリビア的キーワード
何故ヤフーカテイゴリィでは、ウルトラマンはファンタジーという位置なのか
作品と子供は同じ、手抜きはしない。

「子供の夢を壊すような事をするな!」「子供たちの夢を奪うな」「子供がみているんだ」 注がれた愛情は、やがて作品への愛となり、自分の子供ばかりでなく全国の子供達にまで広がっていった。 英二の3男円谷 粲(あきら)氏によれば、円谷英二はとにかく子煩悩だったそうである。

「当時、非常に高価とも思える様なおもちゃでもすぐ買ってきた。 昔、マテル社のプラモデルなどは猛烈に高価でそう簡単に買えるものではなかったが、オヤジさんはすぐに買ってきてくれた。」

ある時、子供をおいて、マサノ夫人が買い物に行った時には、「子供を家において、もし何かあったらどうするんだ!」とひどく叱ったという。 「子供は何をするかわからない。だから放っておけないんだ。」 というのが心情で、円谷 粲(あきら)氏らも「いつも忙しいので家にいるわけではないのだが、何となく、いつも見られているような気がした。」と言うことだった。

満田かずほ監督のお話でも、「ウルトラマンやセブンがいつまでも人気の衰えない理由は、30年前でも非常にきちっと作っていたからだと思う。 手抜きをしないように、いつも円谷英二監督の目が光っているような感じがした。」と聞いたが、それだけ英二氏の存在感は大きく、まわりに注ぐ目も一方ならぬものがあったのではないだろうか。

粲(あきら)氏はさらに、「当時、ウチはいつもお金があるわけではなく、提灯一つ買うのも困ったようなこともあったが、そういう時でも高価なおもちゃは買ってもらえた。 家の敷地の中に、本物の蒸気で動く機関車が走っていたよ。」という事だった。

晩年、英二は何よりも孫がかわいかった。 長男の一氏に長男・昌弘氏が誕生し、英二氏にとって初孫となるのだが、昌弘氏は子供の頃病弱で、入院していたという。 そうすると英二氏は忙しいのにも関わらず病院へ通ってしきりに心配していたそうだ。

子供に対する愛情を円谷 粲(あきら)氏は「異常なほどだった。」という言葉で表現したが、 子供のような純真な心をいつまでも忘れなかったという英二は、孫たちを自分の分身の様に感じていたのかもしれない。

これほどまでに注がれた愛情は、やがて作品への愛となり、自分の子供ばかりでなく全国の子供達にまで広がっていった。

少年時代の英二の親友に羽田徳太郎がいた。いつも英二といっしょに遊んでいた一番の友人だった。 英二は須賀川を訪れると、この羽田の家を訪ね、孫たちにサインをしてやったり、水の入ったコップに牛乳を少しづつ垂らし、火山が噴火するように見える様子を見せて、「これが特撮なんだよ。」と、特殊撮影に関する解説までも行ってみせたという。

少年雑誌に怪獣のぬいぐるみから、中の人間が首だけ出している写真が載った事があった。 これを見た英二は真っ赤になって怒った。

「子供の夢を壊すような事をするな!」 英二は映画の舞台裏を見せることを嫌がった。子供が失望すると思ったからである。

また、昭和42年「キングコングの逆襲」という作品では、アメリカからの注文で、恐竜のような怪獣が口から血を吹いて絶命するシーンを撮ってくれという注文が来た。

子供が見ていることを考え、そのような残酷なシーンは撮れないと反対した英二だったが、海外からの注文には逆らえない。 一計を案じた英二は、その場面を血ではなく、ブクブクを泡を吹き出させて納品することにした。 自分の信念は曲げられなかった。

「ウルトラQ」が好評で、「ウルトラマン」の放送が始まる頃、テレビ局では番組に勢いを付けようと、撮影に使うぬいぐるみなどを借り、遊園地などでデモンストレーションを行うことを提案した。

子供たちの憧れである怪獣を間近に見せ、番組のいっそうの宣伝を計るのがねらいだったが、英二はこれも反対した。

撮影に使う小道具などを安易に見せてしまうのでは、やはり子供たちの夢を奪う行為につながると思ったのである。 しかしながら、これもテレビ局の押しの一手で認めてしまった。

英二は賛成できなかった怪獣のデモンストレーションは、その後デパートなどで頻繁に行われるようになり、苦しかった円谷プロの台所を少しは潤した。

晩年、自らの生み出した怪獣が子供に大人気であることを知り、子供に深い愛情を注いだ英二。

円谷英二は、周囲の反対をよそに、コメディー・タッチで演出したと伝わっている、最後のキングコングとゴジラの闘では、 キングコングが失神し、起きあがったところをゴジラにドロップキックの返り討ちを浴びる。 キングコングの体当たりや、大木を引っこ抜いてゴジラの口に突っ込む場面など大爆笑ものだった。

怪獣が子供に喜ばれるなら、むしろそうやって子供向きに作った方がいい。 当時の英二の考え方はこうだった。 観客の視点を、子供たちに向けて考えていたのである。

ただ、この作品の描き方には、英二なりの計算もあったことも確かである。 怪物どうしの闘いには日本のぬいぐるみ方式ではどうしても限界がある。 「ゴジラの逆襲」という作品でそれを知っていた英二は、今度は思い切ってプロレス調の闘いを描いていったのである。

怪獣映画がシリアス路線を外れ、子供向きになっていったがこの時期の英二は、特撮のプロとしてリアリティーを追求していたのではなく、 映像をファンタジーとして考え、観客に喜ばれるものを提供していった。

事実、「キングコング対ゴジラ」は、怪獣の動きはコミカルではあるが、特撮は決して手抜きでなない。 観客に喜ばれるものを真剣に製作していったのである。

「ウルトラマン」の最終回、第39話「さらばウルトラマン」は、強烈な侵略者に倒されたウルトラマンが、同僚とともに故郷の星へ帰っていくというドラマである。 M78星雲に帰るウルトラマンを見て涙をこぼし、星空を見上げた子供たちは多かったという。

目標に向かって、猛烈に努力する情熱とがんばり
どんなものにも興味を持つ好奇心と、常に夢を持っている明るい気持ち
周囲の人々や、子供達に対する限りない愛情
英二はずっと持ち続けていきたかったのである。

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