円谷ウルトラファンサイト・特撮の神様円谷英二命名秘話

特撮の神様改名秘話

特撮の神様・円谷英二氏は、明治34年、福島県須賀川市に生まれ、本名を円谷英一とう。 氏は、日本映画界の発展と光輝くウルトラワールドを築き上げたその人である。

円谷英一氏が何故その名前を英二に変えたのか、

一般的に名前に数字がついているときは、漠然と1は長男2は次男という意識があった。 近年では、野球選手のイチロー氏が長男ではないという話を聞き時代が変わったのかと思っていたところ、 ここに先人がいた。

何故円谷氏は、その名前を英一から英二に変えたのか、その謎を関係者の懐に飛び込んで考察された方がいた。 「特撮の神様と呼ばれた男」の「ものがたり円谷英二」の著者鈴木和幸氏だ。

円谷英二の叔母ヨシの存在

氏の歴史的・人物背景からの考察によれば、「英二は33歳になったら必ず出世する。」 という謎めいた言葉を言って英二を励ましたという。 円谷氏の叔母ヨシさんにそのキーがあると語る。

【円谷英二氏の叔母ヨシさんは、どの様な流儀なのかは知らないが、人を占ったりする易者のような事に興味を持ち、 本人も修行したり(滝に打たれている写真が残っている)して研鑽を積んでいたのである。

円谷家の親族や知り合いの中には、このヨシさんの勧めによって改名している人も多い (といっても手紙などに書く字を本来のものと変えているだけで、発音は変わらないが)。

英二氏の夫人、マサノさんも、現在確認できる手紙の中では「真砂子」と表記されておりそれにはこの様な事情があったわけだ。 そういった中で、「33で必ず出世する」という言葉になったのだが、これは事実だったのだろうか?

昔で言う33は、1歳引いて考えなければならない。英二32歳の時は、昭和8年、「キングコング」上映の年であり、 英二が映画人生を決めたと俗に言われている時でもある。

特殊撮影の方向を目指す方針が固まった時期であり、この時に出世したというわけではないが、 翌年には東宝の前身であるJOに入社した事でもあり、後に特撮で世界に名をなした事を考えれば、 あながち当たっていると言えないことはないようだ。

円谷英二と名前の画数

また、人の名前の画数を見る事も多かったようで、そこからいろいろなアドヴァイスも生まれているようである。 円谷英一が「英二」と名乗るようになるのは、この辺の時期である公算が強い。

そして、この時期に思い切って叔母ヨシさんに改名を勧められた可能性は極めて高いと言える。 よくある姓名判断の本などを参考にすると、「円谷英一」を「円谷英二」にすると、画数で言うところの運勢は格段に良くなる。一郎と一緒に仕事をするんだから、英二と名乗っては―――と言われても不思議ではない。「英一」を「英二」としたのは、叔母ヨシだったのである。】

その結果円谷氏の名前が後世に残されたのか、それは誰にもわからない。 ただ円谷英二氏の作品の意志を受け継いで行きたい。 そして円谷英二氏をもっと深く知りたいといと考えた人々の手により氏の名前もまたここに伝承されていったのである。

驚愕。文献は、円谷英二の誕生日を間違えていた。

故・円谷英二氏の誕生日は、現在まで様々な文献に言われているような1901年(明治34年)7月7日ではなく、同年7月10日だったのです。

これは、円谷家の子孫円谷誠さんが、家系図を調べているうちに、円谷英二(家系図では円谷英一) の項目が誕生日7月10日であることを確認し、 念のため市役所の戸籍も調べたが、7月10日に間違いがなかったという。 出生地で調べれば容易に分かることだった。

何故このような初歩的ミスが起きたのか、それだけ作品や出演俳優は注目されても、 制作者サイドにまで興味の視線が届かなかったのだろうか。

しかし感動を与えてくれる作品には、必ずそこに生き様とか魂とか、伝えたい想いなど制作者の意図が込められている。 一つの作品を愛する時には広い視野と多方面の角度からみることによりまた味わい方も変わって来るように思う。

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